『ニーズに応えすぎるな』

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おはようございます。昨日寝る間を惜しんで一生懸命書いた『6歳のキミへ』が朝起きたらまじで6人にしか見られていなくてショックだった日南太です。どういういじめでしょうか。そうか、6歳の子はそもそもこのブログを見ていないからかもしれない。

『満足度=クオリティ➖期待値』なので、今回は実際見てくれた人数より、ボクの期待値が大きすぎてマイナスになっちゃいました。

人を満足させたいなら、なるだけ期待値は上げない方がいいですね。

 

さて。

 

今日は、ニーズに答えすぎるなというテーマでお話ししていくよ。なるだけ分かりやすくお話ができるように頑張るね。

 

ボクらが生きていく上で、ニーズに答える(求められていることをやる)ということはとても大事なことだと思う。

自分のことしか考えず、とにかく自分のやりたいことだけをやっていく。そんなんで人に理解されるのは、「まだまだ子供だもんね」で済むガキの頃でおしまいだ。

ボクはとにかく自己中なヤツだったからさ、大人になってから苦労しているよ。今でも、人の気持ちなんてあまりわからない。けど少しずつ少しずつ、ちゃんと考えられるようになってきたんだ。まだまだなんだけどね。

ボクは人を喜ばせたいんだけど、そのためには相手目線になって物事を考えなくてはならないと気づいたんだ。

お仕事でも何でもそうだ。お客さんは今何を求めているのか。常にお客さん目線を持ち、察し、自ら行動を起こして目の前のお客さんを笑顔にさせる。それが接客だ。「今日はちょっときついから手を抜こう」とか、「料理を運ぶのがだるいから、離れた座敷の半個室は空いているけれど、近くのテーブル席に案内しよう。」

そんなの論外なんだよ。まじで。自己中極まりない行為だ。サイテーな接客だよ。そんなサービス精神のないお店で、僕は大事な人と楽しい時間を過ごしたいとは思わない。キミだってそうだろ?まだわかってないんだよ、接客がなんなのか。どれだけ楽しめる要素があるのか。人を喜ばせるチャンスがある素晴らしいお仕事なのか。

テキトーな接客をしているヤツを見ると、頭に血がのぼるんだ。す◯家とか、コ◯ビニとかね。そういう人たちばかりだ。いつも反面教師にさせてもらっているよ。(中にはステキな人もいるけどね^_^)

「なんでこいつはこんなに接客が悪いんだ?」「あ、なるほど。こいつお客さんの顔全く見てねぇわ。だからお客さんがどう思ってるかなんてわかるはずないんだ。つまり改善できない。どーしようもねぇな」

「あーあ、レジ作業に夢中になりすぎだよ。」

「うわー、この人めっちゃ愛嬌あるわ。なるほど、こんな感じもいいな」

こんなことを、いつも考えている。完全に職業病だね。(笑)

 

おっとっと。接客の話から膨らみすぎちゃった。話を戻すと、とりあえず

「ニーズに答えるのは大事なんだけどそれだけが全てじゃない。ニーズに答えすぎるな」てことを言いたいんだけど、答える?応える?どっちかわかんねーや。まぁ続けよう。

 

今から数年前、スティーブ・ジョブズiPhoneという時代を変える革新的な商品を世に出した。世間からは、「こんなの売れるハズがない」とひどいバッシングを受けたんだ。

ボクらは今、当たり前のようにこの商品を使っているよね。ボクも毎日これでブログを書いているし、欠かせないものだよ。

ただ、「ボクらは数年前、iPhoneを求めていたか?」と聞かれると、答えはNoなハズだ。こんな便利なもの、想像すらしていなかっただろう。世間がバッシングをしたように、ボクらは“求めてなかった”んだ。

ジョブズは想像力を働かせて、「これがあれば世の中を変えることができる。挑戦したい。」

そんな自分の持つ情熱で、人が求めているものを遥かに超えた商品を作り出した。

ニーズに応えようとしたわけではなく、そこにあったのは自分の情熱。自分の信念だ。それにニーズが追いついてきた。ボクはそう思っているよ。

革新的なことをするために必要なのは自分の思いだ。人が求めてることってつまり、すでに想像できているものだからね。

自分の思いが大事だってことはなんとなく伝わったかなぁ。そんでこれは、人生において何にだって言えるんだよ。

 

誰もが直面する分かりやすい例が、「進路」かな。親が求めること。先生が求めること。あるいは恋人が求めること。そんな四面楚歌の状況で、キミはどんな決断をした?

自分の思いを殺して求められている道を選んだ人も、中にはいるかもしれない。そんな人が悪いといっているわけじゃない。そんな決断をしたからには、周りのせいにせず「この道を選んで良かった」と思える努力をすることだ。

ボクは自分の思いを貫いて、行きたい高校に行き、ボートレーサーになるという道を選んだ。三者面談で担任の先生に伝えたとに言われたのが、

「あんた、絶対に一発じゃ受からんよ」

だった。必死に努力して、一発で合格したけどね💮高倍率を突破した。

ソッコー、退学になるんだけどね(笑)あんなに辛かったのに、今では笑い話だ。

その時は大好きな彼女がいて、きっと離れるのは嫌だっただろうけど、自分を貫いて良かったと思う。一切後悔していない。仮にボクが求められていることをやっていたら、必ず後悔していたと思う。「挑戦すれば良かった」ってね。

沢山の大人たちに話しを聞いてきたんだけど、やっぱり、求められていることを拒んででもやりたい事がある場合、自分の思いを優先するべきだと思う。求められてることをやって「あの時こうしておけばよかった」なんて、その人に対しても失礼じゃない?

 

恋愛でもそうだね。別れたいと思っているけどあっちは大好きでいてくれて、別れたくないと思っている。求められていることをやるのであれば、「本当は別れたいけど付き合っておく」ということになるね。これってサ、なんの優しさでもないと思うんだ。相手に対して失礼だ。

キミが別れないから、相手は次の人へ行けないんだよ。そして自分まで犠牲にしてしまう。

けどね。

応えすぎてはいけないんだけれど、何を求められているのかということは、しっかりと把握をしておかなきゃいけない。これが大切だ。把握した上で、自分の思いを優先するんだ。把握しておけば、伝えるべき言葉や行動がわかる。

相手の気持ちを把握した上で、自分の伝えたいことはしっかり伝えてあげるんだ。それが優しさだと思う。

 

求められてる球を知らずにそこへ投げるのか、求めてられてる球を知った上であえてボール球を投げるのか。それには雲泥の差があるんだよ。

そして、求められている球だけを投げ続けるのは、ただのバッティングピッチャーだ。

本当はエースになりたいのに、 ね。

 

こんなに話が長くなるなんて思ってもみなかったけど、なーーんとなく、伝わったかな?

『求められていることに応えるのは大事だが、応えすぎるのは良くない』

まとめたらこんな感じだ。

今日はそんなお話しをしてみたよ。

 

また、みんながみたいと思えるような記事を書けるようにこれからも頑張るね。

ショックなことがあったとしても、今までやってきたことを継続するんだ。そうすればメンタルは崩れない。

お互い頑張ろうね。