『よく分からない常識のお話』

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おはようございます。今朝、尊敬する会社の常務がメルマガでコレを書いてかれていたのを見て、ニヤニヤしている日南太です。

 

さて。

 

「お前は非常識すぎる。」

「もっと常識を知れ」

「そんなん常識やろ」

中学の頃から、ずっとこんなことを言われてきた。友達や、先輩。学校の先生。しまいには、親まで。

親に、常識がなってないと言われるなんて、もうワケがわからない。

「なんなんだよ、常識って。知るかよそんなもん」

そう思いながら生きてきた。

この数年で何か、変わっただろうか。

今でも言われる。「アイツ、常識がなってないから嫌いなんだよね。どう思う?」とか。

「そうっすねー、俺にはよくわかんないっス」

って苦笑いとともに言いながら、「常識常識言ってるあんたが無理だわ。」そう思っている。

 

「何なんだよ、常識って」

昔から、極度なマイペースで、人に合わせるというコトを知らない僕には、ずっと理解できない。常識常識とよく口にする人の気持ちが。

「川口くん、君はもっと人に合わせるということを知りなさい。」高校の野球部の監督から言われたなぁ。

美術の時間にみんなでスケッチしにいったとき、時間が終わったのに僕だけ立ってウロウロしていた。

「ほんっと、マイペースなやつやなぁ^_^」

女の子が言ってるのが聞こえてきた。これは、嫌味じゃなかったかな、笑ってくれてた気がする。

『天然』『マイペース』『いい笑顔』

この3つは、小、中、高、社会人になっても僕にしつこく付きまとってくる。なかなか離れてくれないんだ。まぁ、べつに突き放すつもりもないんだけれど。3つとも、ボクには全く自覚というものがない。けど、こんなに長い間、関わる人が変わっても言われ続けるってコトは、あながち間違っちゃいないボクの魅力(果たして魅力と言えるのか?笑)のようなものなんだと思う。笑顔は今、接客で生かされているよ。よくお客さんに褒められる。それにスタッフからも。笑顔に関して意識はしていない。笑顔は自然が1番だし、ボクはなんでもすぐに笑ってしまうから、意識する必要もない。たまにひきつってしまうけど。まぁそれも自分で気づいてる。

「愛想笑いがうまいね」なんてよく言われるんだけど、愛想笑いなんてしてるつもりないんだけどなぁ^_^;

無意識にやっちゃってんのかな。

 

あら、話が脱線してしまったなぁ。常識の話をしていたんだっけ。なかなか治らないんだよな、話が膨らんで違う方向にいっちゃう癖。レールの上を走るのは嫌いみたいだ。ボクには自由にのびのびと走り回れる環境があってるのかもしれない。ゴールを設定し、そこに向けた努力を続けていくことも好きだが、思いつきで行動を起こし、そこで突然起きる出来事や、新しい出会いから想像もしていなかったことに繋がったりすることもまた、大好きだ。

って話していってるうちに、またどんどん違う方向に行ってんだよ、一旦落ち着くんだ笑

常識の話をしてるんだ、おまえの嫌いな常識の話を。笑

今、「なんとかするりょく」を鍛えている真っ最中でサ。オチやテーマなんて決めずにとりあえず書き始めてみて、頭に浮かんできた言語だけを頼りに、スラスラ書いていくんだ。書きながら、右へ行くのか左へ行くのか考える。進んでいくうちにどんどん言語が頭に流れ込んできて、気づいた時にはなかなか長い文章がかけちゃってる。

「アレ、こっからどう繋げよう、どうやってオチ作ろう」

って困った時が成長のチャンス。「なんとかする力」が鍛えられるんだ。今もそうだよ。1,500文字目なんだけど、まさか最初こんなにかけるなんて思ってなかった。ロケット鉛筆式に、言語を出せば出すほど新しい言語が出てきてくれる。そういった感じかな。

 

ここまで書き進めながら、“常識”について考えてみたんだけど、やっぱりあまりいい印象は持たないな。

“マナー”は素晴らしいものだと思っている。マナーと常識ってぜんぜん違うとボクは思っていて、マナーは相手を不快にさせないように、相手目線になってとる行動のことだと思っている。

バスの中で納豆を食べる。食事中なのにウ◯コの話をする。

ボクがとっていたこんな行動は、明らかにマナー違反だ。反省しているよ(笑)

一方、常識はどうだろう。だれか、常識の素晴らしさがあったら教えてくれよ。ボクはまだ知らないだけなのかもしれない。

年上の人にはお酒がなくなったら注がないといけない。

後輩は、ボクのビールのガラスが空いた瞬間に新しいビールを注いでくる。それがいわゆる常識だから。

「いいよ。俺は自分の好きなタイミングで飲みたいんだ。」

それにボク、ビール嫌いなんだよ。

 

鍋が始まれば、勝手に具材をつがれる。「何かつぎましょうか?何が好きですか?^_^」

そんなことを言ってくれる子は、本当に可愛い。惚れちゃいそう。

でも、たまに勝手についでくる人がいる。親もそうだったなぁ、小さい頃から嫌いだった、勝手に鍋の具材をつがれるの。だって、キライな野菜をたくさん入れてくるんだ。ボクは肉が食べたいのに。

 

それと、乾杯強制生。

「おれ生で!おれも!おれも!おれも生!ハイ生4!お前は?」

「おれはー、カルアミルクで」

「は??笑」

よくあるよね、コレ。笑

“乾杯は生ビール” もはや常識中の常識となっている、コレ。あんまり好きじゃないんだよね。

オレらは生ビール飲むからお前も飲め!最初は生しかないだろ、お前も生だよな?

『オレらはこうなんだからお前も合わせろ』

“常識”はこんなメッセージを放っているようにしか聞こえない。なんなんだよ、ソレ。誰が作ったんだよ。

ただ、そっちにたくさん人数がいるって理由で、人数の少ないこっちを批判してくる。

「お前は常識がなってない」

本当にそれが正しいのか、本当にそれが優しさなのか。そんなことはシカトして、常識側にいる人間はボクらはみでものを村八分にあわせる。たまったもんじゃないよ。こっちは。

 

昔、地球がまだ動いてるのかどうかわかってなかった頃。

地球は動いておらず、太陽が動いていると考える天動説を唱える人たちと、地球が動いていると考える地動説を唱える人がいたんだ。

天動説の人たちが圧倒的に多くて、世の中の常識とされていた。

「地動説??ふざけるな!お前らは悪だ!」

地動説のリーダーは、死刑にされたしまったよ。

もうみんな知っているけど、地球は動いてたんだ。 地動説が正しかったんだよ。

でも、常識外れだからという理由で殺してしまった。

常識に囚われ、常識を疑うことをしなかった人間が犯した、最大の罪だ。

おー、こわいね。こんなことがあったんだ。

 

「なんなんだよ。常識って。知るかよそんなもん。」

小さい頃からのこの思いは、今では少し変わっている。

「そうか、それがキミ達の常識か。わかったよ。じゃあボクはこっちへ行こうかな」

大人数で群れてそれなりの人生を歩む人たちを突き抜けるには、まずはその常識とやらを知らなきゃいけない。知った上で、本当にその常識には優しさがあるのか?正しいのか?しっかり自分のモノサシで見定めて、違うと思ったなら、どれだけ批判を浴びようとも自分が本当に行きたい道を歩いていきたい。

そんな人生、とってもおもしろそうだ。