「他人の評価」と「一生懸命生きる」
おはようございます。
昨日、一昨日の2日間、20km離れた前の職場で働くので往復40kmの道のりをチャリで通勤したのですが、それが全く苦じゃないドMな日南太です。この生活を約2ヶ月続けていても辛くなかったので相当な運動好きです。そしてドMです。(Sなときもある!)
さて。
アウトプットの場を設けるということで自分のために始めたこのブログですが、情報ばかり売っていても(このブログを書いたところで1円も収入が入る訳ではありませんが)情報に溢れているこの社会ではあまりに価値がないので、もっともっと自分のストーリーだったり頭の中を文字に起こして、僕のことを知っている人にちょっとだけ楽しんでもらえるようなエンタメに、自分しか書くことのできない少しでも価値のある記事にしていきたいと考えています。
今日のテーマは「他人の評価」と「一生懸命生きる」です。
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「評価は他人がするもの」
最近僕がよく聞くこの言葉。聞くたびに違和感を覚える。確かにそうだ、他人は評価(=価値を見定めること)をしてくれる。ただ、その評価が全てではない。
自分の事を客観的に見るためにとてもいい働きをしてくれるのが他人の評価だ。
仕事中にちょっとスタッフと話が弾んで作業をせず時間が経っていた。「うわ、話しすぎた ごめんごめん」と周りのスタッフに伝える。自分の中ではそれで終わっていたが、裏で想像以上にぐちぐち言われていたりする。
それを知る事で自分の行いを客観的に見る事ができ、「作業を止めて話をすることは周りのスタッフの不満を生み出す事になる。自分が思う以上の不満を。」と学ぶことができる。
「話をする時は何かしら作業をする。どうしてもの時は ごめん大事な話をしてくるからちょっと店任せるね と伝えるようにする。」
と再発防止策を作ることができる。こないだ不満ためてしまったから、今日はその分何も言わせないくらいバリバリ働いてやろうというモチベーションにもなる。
こういった、自己評価とのすり合わせをして自分を客観的に見るために他人の評価は必要だ。
他人に言われないと気づかないことは沢山ある。
ただ、他人の評価ばかりしている人、愚痴ばかりこぼす人に言いたい。
「じゃあお前はどうなんだ?」
自分の事を棚に上げて他人の評価をする事に何の価値があるのだろうか?そんな暇があったら一度自分の評価をしてみてはどうか。
そういう人たちは相手を下げることで自分が少し上になった気分になって満足している。ただそんな人間に成長などあろうはずがない。
他人を下げることにいっぱいいっぱいで、実際自分は1ミリも上にあがったわけではないのだから。
自己評価で高得点を取る。話はそれからだ。他人を評価してる暇があったら自分を磨いて自己評価してみたらどうだ。
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「一生懸命生きてるつもりやのにな。
適当に見えるんやな。
どうしたらいいんかいな。」
これを見て、ずっと何か伝えたかった。何を伝えたらいいんだろうとずっと考えた。
そりゃあ生きてりゃサボったり、だらける事もある。適当な事をする時もあるし、しちゃダメなことをやっちゃう時もある。
でもそのたびに毎日反省をして、改善策を立てて、明日頑張る事を決めている。
人の気持ちを自分の事のように考えて、想像して、時には涙を流しながら必死に自分のメッセージを伝えようとしてくれる。
それに沢山の人が救われてるよ。君のおかげで気持ちが楽になったり、「明日も頑張ろう!」って思える人がいる。それってほんとに素晴らしい事だと思う。
君は、一生懸命生きてるよ。
外野の声なんて気にするな。彼らは何も知らないんだ。どんな辛い過去があって、どんだけ苦しい思いをしてきたのか。今どんな気持ちで生きているのか。
本当に君のことをわかろうとしてくれる人に理解してもらえれば、それでいいんじゃないかな。
ただね。もし、過去のことを何回も何回も思い出して、その度に今の時間が20分も30分も無駄になってしまっているのなら、もしかしたらそれは、本当の意味で今に集中して一生懸命になりきれていないのかもしれない。
本当に今に集中して一生懸命生きている人には、過去を振り返っている暇などないはずだ。
過去が足枷になってしまっている。
でも、そんな過去だって考え方1つで必ず変える事ができる。
沢山の人に応援されて、送り出してもらったのに日本一のボートレーサーになるという夢を絶たれ、誰にも顔を会わせられず、鬱と過食に苦しんだ人生で1番辛かった時期。
野球漬けの毎日を送ったのに最後一瞬も試合に出れなかった事。
代表として駅伝を走ったのに腹痛で力が出せず、悔しくて泣きながら走った事。
大好きだったお母さんと離れ離れになった事。
きゅうりを50本発注して怒られたり、酔いつぶれてバーのカウンターで吐いたり、便器にAirPods片耳吸い込まれたりした過去。
数えきれないほどネガティブな過去がある。
でもこれを、成人式の代表挨拶で話して人に感動してもらったり、母親がいない人の心の痛みが理解できて共感し合ったり、人に話したらケラケラ笑ってもらえたりすることで、こんな過去があって良かったなって思えている。
どれだけ辛い過去も、今 自分が前に進むための強力なアクセルに、同じ失敗をしないための強力なブレーキに変えれるはずだ。
どんなネガティブな過去だって変えられる。
この過去のおかげでこういう事ができる、こんな自分になれた。目の前の人が笑顔になっている。そういうものが必ずあるはずだ。
それは誰よりも、自分が1番分かってるはず。
過去は必ず変えられる。きっと大丈夫だよ。
これからも、お互い一生懸命生きようね。
僕は一生懸命生きる人が大好きだ。
本日は以上でーす。